2017/01/06発行 2017 WINTER掲載記事

ビジネスインタビュー

写真文化を守る使命

富士フイルムホールディングアメリカコーポレーション社長、
富士フイルムノースアメリカコーポレーション社長兼CEO 山元正人


 1934年の創業以来、富士フイルムは、写真フィルムの製造販売で業界をリードしてきたが、2000年をピークにフィルムの需要が激減、事業転換を余儀なくされた。持ち前の技術力を生かし、フラットパネルディスプレイ事業、メディカル分野、化粧品分野などで成功した今も、同社のアイデンティティー、「写真文化」を守り続ける。米州トップの山元正人さんに聞いた。

――日米での事業の違いはありますか?

 会社や事業の認識の調査をすると、日本では化粧品事業に力を入れているせいか、最近は、化粧品会社のイメージが上がっていますね。

 米国では化粧品事業は展開していませんが、ほとんどの事業はグローバルに展開しています。例えば最も新しい事業分野の「再生医療事業」でも日米どちらも展開しています。ただし、同分野であっても、米国では、IPS細胞の最先端の企業を買収するなど独自のビジネスも展開しています。

 日本での化粧品のように、消費者の目に触れるものでは、デジタルカメラやインスタントカメラのチェキ(米国ではInstax)があるので、米国では写真関連の会社というイメージは十分持ってもらっています。逆に例えば、「再生医療事業もやっている」と言うと驚かれますね。われわれの現在のチャレンジは、ブランドイメージを総合的に上げていくことで、B to Cでの認知度をテコにB to Bの事業の認知度を高めていくことです。

――根幹だった写真関連事業から事業転換をされる中で大変だったことは?

 一般的に考えれば、業績が振るわない事業は完全に止めてしまう方が楽なのです。ですが富士フイルムは、「写真文化を守る」ことを使命として、写真関連事業から撤退はしないと決めました。そうなると、写真関連事業では、戦いで退却する際の、しんがりではないですが、追ってくる敵と戦いながら、自分の身も守るといいますか、そこが大変でした。売れている商品もたくさんありましたから、攻めるところは攻め、絞るところは徹底的に絞り、適宜な事業規模にした上で、軌道に乗せて復活させました。

――同時に新事業も盛り立てていかなければならなかったわけですよね。

 質的にも数的にも豊富な人材を抱えていた写真関係事業から新事業に人材を充て、残った人間で立て直す必要がありました。私は10年間米国で勤務した後、2010年に日本に帰国し、12年にイメージング事業部長の職に就きましたが、15年に再び米国に戻るまでは、写真事業を盛り返すために費やした5年間でした。

――「写真文化を守る」決断は大きいですね。米国での写真事業の変革について教えてください?

 米国では10年ほど前から写真専門店が減り、大手小売店がフィルムの販売と現像、プリントの窓口になっていたので、そうした大手販売店とどうタッグを組み、インフラとしてどんなハードやソフトを提案ができるかが主題でした。そこから、スマホの普及で、デジタルカメラではまだ残っていたプリントの文化や習慣自体がなくなり、インフラを整えても、お客さんが来なければお互いに商売にならないという状況になりました。そして今度は写真文化がいかに日常生活を豊かにするかということ、また写真文化を培ってきた富士フイルムが開発したデジタルカメラの品質、技術力の高さを、ダイレクトに消費者に伝える工夫が必要になっています。

今年7月にマンハッタン•フラットアイアン地区にオープンした「Wonder Photo Shop」(写真①、②)では、富士フイルムのデジタルカメラ、インスタントカメラ、チェキ(Instax)(③)の販売だけでなく、プリントを使ったさまざまなアイデア(④)を提供している

山元正人 Masato Yamamoto

東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒。MITスローン経営大学院留学MBA取得。1986年富士写真フイルム株式会社(現富士フイルム)入社、プロフェッショナル写真部、輸出本部第一部感材グループなどを経て、2000年にFUJIFILM U.S.A., Inc.駐在。12年、イメージング事業部長就任。15年から現職。

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