2017/03/31発行 2017 SPRING掲載記事

ビジネスインタビュー

存在しない市場を創る力

北米伊藤園社長兼CEO 本庄洋介


 今、大手スーパーマーケットから個人商店まで、ニューヨークで当たり前に目にするようになったペットボトル入りの伊藤園の緑茶「お〜いお茶」や「TEAS’TEA」。ニューヨーカーの健康志向とも相まって躍進を続ける北米伊藤園。本庄洋介社長に、本土進出当初から、現在の緑茶ブームに至るまでの道のりについて聞いた。

――近年の米国、特にニューヨークの食は、健康志向が強く、緑茶ブームも続いています。

 緑茶が米国人に受け入れられるまでには、日本食ブーム、そして食について考えるフードチャンネルといったメディアが緑茶の認知度を高めてくれた背景があると考えています。

 当初、緑茶は砂糖を入れ苦味を緩和させていたのが、今では「苦味がいい」「うま味がいい」と分かってもらえるようになりました。

 さらに最近は、抹茶ブームも起きています。抹茶ドリンクを出したのは弊社が初めてですが、抹茶はご存知のようにかなり苦いので、ショットで飲んでもらうように小さい缶で出しました。同時に甘いものも作ったのですが、今や苦いものの方が売れます。「緑茶は健康に良いけども、実は抹茶のほうが健康に良い」と、抹茶がスーパーフード扱いされ、トレードショーなどでも、誰もかれもが「抹茶、抹茶」です。

――伊藤園は最初、ハワイに進出し、2000年にニューヨークに進出しました。拠点を分けたのにはどんな理由があったのですか?

 1987年当時は、日本でのハワイブームがあり、伊藤園は「アロハメイド」というトロピカルジューズのブランドを持っていた会社を買収しました。当時、小規模企業は米国に進出する際はいきなり本土ではなく一番近いところに、という戦略が一般的でした。ハワイの会社では今もトロピカルジュースや缶入りのお茶を作り、ハワイと西海岸で販売しています。

 それとは別のプロジェクトとして、「そろそろ本土に行こう」ということになって、2000年にニューヨークにリサーチオフィスを私を含め3人で立ち上げました。3年ぐらいは様子見しようと思っていたところ、すでに当地では健康ブームが起こっているのが分かって、それに伴って、「お茶も来そうだ」と考え、すぐに法人も立ち上げました。

 まずは「ジャスミン茶」「金の烏龍茶」「お〜いお茶」に加えて、日本のヒット商品の野菜ジュース「充実野菜」も持ってきて販売しましたが、これが全く売れなかった。そこで、「お〜いお茶」を「TEAS’TEA」、「充実野菜」を「Gotta Juice」として売り始め、「Gotta Juice」は全く売れなかったので、「TEAS’TEA」にフォーカスするようになって今に至ります

――当初、無糖の緑茶、お茶のドリンクという市場がなかったわけですよね?

 そうです。実は私は16歳で米国に留学した時、ティーバッグで作った緑茶を友達に飲ませてみたことがありました。そのときは「苦い」と吐き出されました。19歳の時にもハワイでサンプルを飲んでもらったのですが、やはり苦いと。「飲み物は砂糖を入れれば入れるほど売れる」といわれていたぐらいですから、リサーチオフィスを作ってから1、2年も同じ反応で、無糖など見向きもされませんでした。

――そこからどうやって存在しなかった市場を創り出したのですか?

 飲料は宣伝広告が一番効果的なんです。それをやらなかったのは単にお金がなかったから。ニューヨークで街頭広告、テレビ広告を大々的に出すと1カ月150億円くらいかかる。日本に打診したら「そんなお金あるわけないだろ」と。

 そこで02年にティーショップとその2階にハイエンドな懐石料理のレストランを開店しました。周辺に店がなかったので、「ITOEN」と看板を出したら目を引き、宣伝効果にもなるだろうと考えたのです。

 また、レストランでは、懐石料理に合うおいしいお茶をどんどん飲ませて、そこに来る、特にハイエンドな人たちの味覚をまず変えて、「この料理にはこのお茶が合う」という文化を作ろうとしたわけです。5年ぐらいすると、お茶の受け入れられ方も変わっていくのを実感しました。ただし、それにも段階があって、まずは甘いものを作って、3年おきぐらいに甘さを調整し、最終的には無糖にしました。賃貸契約の関係で店は10年で閉めましたが、その頃には無糖の緑茶が一般的に浸透していました。

――ニューヨークという特殊な環境が新しい文化の伝播(でんぱ)に効果的だったのですか?

 本土進出に当たり、私と当時の若手役員3人(現・伊藤園社長、副社長、専務)が全米を視察した後に投票し、私以外はニューヨークを選び、なのに私が来ることになりました(笑)。

 ニューヨークは各エリアごとにさまざまな人種が住み、違う文化を持っていますから、それぞれマーケティングの方法を変えなければならない。人の入れ替わりも激しいですから、一つの商品を定着させられるのかという不安もありました。ただ同時にこの地で成功すれば、世界中の人が集まる場所だけに、宣伝効果も高く、他の場所に持っていくのも簡単になるとも考えました。また実際に始めてみると、伊藤園が行うルートセールス営業がこの地に合っていた。各店をこまめに回り、商品を紹介して店に置いてもらうのですが、地下鉄でどこにでも行けるので営業がしやすい。商圏が大きいことも魅力でした。当初は、「ローリング作戦」と銘打ち、私も含め飛び込みでどんどん店を回りました。

 置いてくれる店の件数が増えれば、あるものだけを売るのではなくテスト生産もできるようになり、自分たちがこの市場に欲しい新商品を作ってもらい、当たったら全米に流通させ、作っては回し、売れなければやめるの繰り返しでした。

――緑茶は盤石の地位を獲得しましたが、今後はどんなビジョンを?

 伊藤園はもともと、私の父と現在会長の叔父が始めました。セールスをやっていた二人が流通会社を作り、1年やってみて一番売れ、一番利益が取れるものが茶葉だったから、お茶屋さんになり、その後、お茶ドリンクを作り出し、さらに事業を多角的に展開しています。根本にあるのは創設当時から変わらぬ、強い営業力と「すごい商品を作って世の中の人に面白いと言われることをやろう」という哲学。その分子が米国に来ています。

 私自身、社員に、「突然5年後に扱うものが変わるかもしれないよ」と言っています。北米伊藤園は06年にサプリメント会社を、3年前にコーヒー会社を買収しました。緑茶が主力であることはしばらく続くと思いますが、それをさらに超えて、自然・健康・安全・おいしい・良いデザイン、というコンセプトの中で、新しい商品を作っていこうと常に考えています。

①「お〜いお茶」は現在、緑茶、濃い茶、玄米茶を発売②パッケージデザインが新しくなった「TEAS'TEA ORGANIC」③抹茶ドリンク「matchaLOVE」シリーズには水出しのドリンクも登場している④臼引きの抹茶から抹茶ドリンク、茶道具など抹茶にまつわるあらゆる商品を販売している「matcha LOVE by ITO EN」の店舗

本庄洋介 Yosuke J.O. Honjo

東京生まれ。早稲田大学商学部卒。1989年グリーン・コア入社。90年に伊藤園入社。2001年から北米伊藤園代表取締役社長兼CEO。第7回日本食海外普及功労者表彰受賞。

1分動画


利用規約に同意します