2018/01/05発行 2018 WINTER掲載記事

ビジネスインタビュー

強みを生かすこと 考える

ゼブラインターナショナルグループ社長 谷川彰彦


 筆記具大手ゼブラの米国法人設立は1982年。その発展をつぶさに見て、苦しい時代も乗り越え、今に導いてきた谷川彰彦さんに、ゼブラの米国での35年の歩みを聞いた。

――米国法人設立が1982年で、谷川さんが来米された84年の当地はどのような状況だったのでしょうか?

 当時のゼブラは、コア商品のボールペンをはじめ、油性マーカー「マッキー」、ボールペン・シャープ多機能筆記具「シャーボ」などのヒット商品もあり、日本国内では総合筆記具メーカーとして地位を確立していました。国内に力を注いできたこともあって、米国法人設立は、競合の、ぺんてる株式会社(60年代)、パイロットコーポレーション(70年代)と比べて後発でした。

 2社の展開もあって、米国ではすでに日本の筆記具の品質の高さは評価されていたので、後発のわれわれは、「2社あれば十分だ」などと指摘されました。

――入社2年目の谷川さんが赴任された背景は?

 米国進出は、当時社長の石川秀明の意向でした。「やるなら大きな市場がある米国」「米国で成功しなければ、世界に通用しない」ということで、赴任希望者を募った時に手を上げました。社長の一発人事で、私と上司二人で赴任することになりました。当時、海外に行きたいという人が少なくて、運が良かった。その時、「骨を埋めるつもりで行ってこい」と言われ、奮起しました。

――当地ではまずはどのような展開を?

 現地法人は82年8月に設立し、最初の2年間は見本市などに出品するなどして、どの程度、米国の消費者にゼブラ商品が受け入れられるのか市場調査を行いました。

 日本ではボールペン1本が100円。こちらでは1ドルになるわけですが、当時BICのボールペンは1ダース1ドルで売られていました。その中でやれることは、独自の良さ、強みを生かすこと。高品質で耐久性があり、壊れないという観点から、日本でもゼブラの代表的な商品だった、ステンレスバレルを使ったボールペン「F301」を展開しました。当初は非常に厳しい状況が続いていましたが、これがブレークスルーとなりました。これがなかったら、今会社がなかったといえます。。

 同時に販路の確保も重要な要素でした。当時は全米で筆記具専門の卸業社が40社以上ありましたが、取り合ってもらえない状況が続きました。そんな中で筆記具のパイオニアであるユダヤ系がこの業界で力を持っていることが分かってきました。そこで彼らのコミュニティーの特性を理解し、文化、考え、商習慣の違いなどを踏まえて売り込むようにしたところ、徐々に商品を扱ってもらえるようになりました。

 さらに、F301を売ってくれていた卸業社のバイヤーが、転職先のウォルマートでも商品を置くことを提案してくれて、一気に売り上げが上がりました。

 市場自体も変化していた時代でステープルズ、オフィス・デポ、オフィスマックスなど文房具のスーパーストアが登場しました。特に彼らは、「新しくて良いものがあるならば扱う」という姿勢で、3社から引き合いがあり、商品を置いてもらうようになりました。90年代は、まさに彼らとともに成長しました。

 2000年代に入り、油性と水性の中間に位置するジェルインクを使った商品「SARASA」がヒットしました。当時、商品は日本から持ってきていたのですが、スーパーストアが設ける納期に対応するために、メキシコに工場を設立し、製造を始めたのが2001年です。さらに02年には1本に3色のインクが入ったジェルインクのボールペン「スーパーマーブル」が爆発的に売れてブームになりました。

――市場の変化に対応してきた結果ですね。

 実はこのブームが、その後の失敗につながります。スーパーマーブルは日本でもヒットした商品でしたが、こちらとの違いは、日本ではボールペン、マッキーなどコア商品がきちんとあることです。商品のラインアップが少ない米国では、この一過性のブームが去った後、全体の売り上げが一気に落ち込みました。私自身はその責任を取って、本社執行役員からの降格処分を受け入れました。

 大きな反省は、ブームに安心して、次に続く新商品を用意してなかったこと、そして米国でのコア商品を作れていなかったことです。米国で定番商品となっていたF301、SARASAだけでは、落ち込みをカバーしきれなかったのです。

――ここで、日米の差が大きく影響したのですね。

 そうです。大きな戦略の転換が必要でした。米国の消費者のニーズも深くつかめてきたこともありました。まず、日本のように、「あるといい」機能やデザインへのこだわりよりも、米国人の方が筆記具に対して、実用性と、コストも含めて合理性を求めます。

 ならば欧米消費者向けの新商品を開発するべきだと考え生まれたのが「Z-Grip」です。

 ボールペンは1本1ドルから安いものは1ダースで1ドルのものがあるとお話ししましたが、その中間で質の良い商品がないということに気付きました。そこで、商品を低価格に抑えつつ、書き味のいい高品質のボールペンを作ってみようと試みました。

 握りやすいラバーのグリップに、壊れにくい金属製のクリップを付け、中国の工場で生産し価格を1本、50セント程度に抑えました。色も8色で展開。これが全米で大ヒットし欧米市場でのコア商品となり、成長を続けることができました。

――日本と欧米でのニーズの違いはどのように理解しているのですか?

 私がグループの代表になったときに決めた方針が、法人の現地化です。日本人だと、「こんなの売れない」と考える商品でも現地の人の考えは違います。「自分たちの強みを生かす」「現地のニーズを理解する」というグループ全体の戦略のもと、現地の人を現地法人トップにし、権限も委譲しています。戦略をどうプロセスに落とし込み、実行し、結果を出すかは、自分たちで考えてもらいます。

 私は、まず人を100%信用して、すべて任せる。そのため、もちろん結果だけでなく、プロセスもしっかり見ます。

 私自身、結局は失敗から多くを学んでいます。戦績でいえば1勝9敗。でも9敗から学び、挙げた1勝が今後の会社の大きな発展につながるような1勝であると思っています。

――「骨を埋めるつもり」の心意気が方針に生かされているんですね。

 成功が10点満点ならば、自分が一生懸命頑張って2点、運が2点ぐらいとして、残りは自分の周囲の仲間、各国の現地の社員が、しっかりやってくれていて3点。そうしたら合計7点でぎりぎり合格点を取れるんじゃないかと思っています。

――今後の展開は?

 特に2012年以降、市場が変わり、スーパーストアも文具、筆記具だけに特化した販売では立ち行かず生活必需品まで取り扱うようになっています。当然、筆記具に割くスペースが狭まり、20〜25品置かれていた商品が売れるものだけに限定され、売り上げが落ち込みました。この5年間の落ち込みは、サムズ、コストコといったクラブストアやドラッグストア、ダラーショップ、オンライン販売、アマゾンにも販路を広げカバーしてきました。

 低価格、高品質はもちろんですが、いかに付加価値のあるものを作れるかということを考えています。また、強みをさらに強みにするために、われわれも考えや視点を絶えず変えていかないといけない。近年は、SNSでの情報発信、ネット販売の普及で、どんどんお客さんがグローバルになってきています。筆記具ではまだばらつきはあるものの、欧米のニーズも、日本に近くなってきていると感じています。そうした時代ですから、われわれの強みを生かし、全世界のニーズを踏まえた商品を世界同時発売で同価格で同品質のものを提供することを目指しています。

人を100%信用して、すべて任せる

谷川彰彦 Akihiko Tanigawa

大阪府生まれ。京都産業大学外国語学部卒。1982年にゼブラ株式会社入社。84年に米国法人ゼブラペンコーポ出向。87年に副社長、90年に社長に就任。2002年にゼブラ株式会社グローバル営業本部本部長、欧米現法統括代表。2016年に上席執行役員就任。

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