2018/06/29発行 2018 SUMMER号掲載記事


vol. 7 ●イプスウィッチ

「なんてすばらしい品だ!」 平日の昼下がり、通りすがりの白髪の男性が、イーストビレッジのリペア&アンティークショップ「イプスウィッチ」のショーウインドーを指さして、おどけて見せた。それに手を上げて応じるのは店主のフィリップさん。「彼、毎日ああするんだよ」と苦笑する。

59歳のフィリップさんは、生まれも育ちもマンハッタン。ナイトクラブが乱立し、治安も悪かったこのエリアが、「クール」に生まれ変わる様を見てきた。

「昔は、近隣住民はみんな顔見知りだった。今はコミュニティーのつながりもなくなったね。家賃も劇的に上がって、知り合いたちはみんな郊外に引っ越してしまった。今のマンハッタンは好きじゃないな」

本人はそううそぶくが、壊れた時計を持ったヒップスターも、雑談目当てのおばあさんも、この街の人間はみんなフィリップさんに会いに来る。

きっかけは1人の男性
1973年開業の同店のメーン業務は、時計や装飾品の修理。だが同時に店内には、ロザリオやポストカード、ガラス瓶などの多種多様なアンティーク品を所狭しと並べている。

「一つのサービスに集中すると、それがダメになったときに立ち行かなくなる。手広くやることが大事だ」とフィリップさん。

初代店主でフィリップさんの父、ポールさんは額縁店として同店を開業。仕事を通じて取引があった古物商で購入したアンティーク時計を、趣味でショーウインドーに並べていた。ある日、近所でナイトクラブを経営していた男性がその時計を見て、声を掛けてきた。

「自分は時計の修理ができるから雇ってくれないかと、父に持ち掛けた。彼はギャンブルで散財して、金が欲しかったんだ。父は、代わりにノウハウを教えてもらうことで手を打った」
そうして店は修理サービスを始め、ポールさんは修理工に。86年ごろに表舞台から退き、現在はフィリップさんのおじと2人で、工房で高級時計の修理を担当している。

信頼で成り立つ商売

客の多くは時計の専門知識を持たず、プロである店員の言うことを信じるしかない。他の店で250ドルの修理代を見積もられたという客の時計の故障原因は、歯車に髪の毛が1本絡んでいただけだったこともあるという。

「うちは絶対に嘘をつかない。『Yelp』の高評価がその証。他の客もそのレビューを見て、来てくれるんだ」

ただ、ファミリービジネスとして成り立っている同店だが、フィリップさんの息子は店を継ぐ気がないという。

「客は私を信頼して来てくれるから、赤の他人には店を任せられない」とフィリップさん。「私の引退が、イプスウィッチの終わり。それでいい」。

去りし日を物語るアンティークたちに囲まれて、カウンターの向こうに座ったフィリップさんは、今日も時の流れに身を任せる。

Ipswich Watch, Clock & Jewelry Repair
434 E. 11th St. (bet. Ave. A & 1st Ave.)
TEL: 917-536-0120
www.ipswichnyc.com
Tue-Sat: 1-7pm

創業45年のリペア&アンティークショップに行ってみよう
フィリップさんはこれまで数々の時計を修理してきた。組み立て方が独特だったり、パーツが希少だったり、ブランドによってさまざまな特徴がある
10歳から時計修理に携わっている、2代目店主のフィリップさん。父親が2カ月掛けて覚えた工程を2週間でマスターしたという
2014年に移転した現在の店舗のショーウインドーにも、アンティーク時計はしっかり並んでいる
ビニール製レコードからポストカード、ガラス瓶まで何でも並ぶ店内。売れ行きは本当に読めないそうだ。ふらりと立ち寄って商品を眺めていくだけの客も多い

 アンティーク時計は形で大まかな年代が分かる。フィリップさんによると、「1930~40年代は四角がはやった。大きい円形が50~60年代で、付けやすいように小さくなったのが70年代」
故障の程度によってはカウンターですぐに修理可能。最も多い依頼は、電池の取り換え。2018年上半期だけで、使用済みバッテリーはこんな量に

「ニューヨークの修理職人の数は減っている」とフィリップさん。「ヨーロッパには技能を習える学校があるけど、アメリカにはない。志す若者も、大手時計メーカーの専属になりたがる」。イプスウィッチも来年6月にリース契約が切れ、その後どうなるかは未定だという
時計は何でも好きだというフィリップさんのコレクションの一つ、「Rolex Oyster Perpetual Day-Date」

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