2017/01/06発行 ジャピオン4号掲載記事

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 1718年、新大陸の南部にある沼地を、フランス人の入植者らが「ラ・ヌーベル・オルレアン(フランスの王族、オルレアン公ことフィリップ2世にちなむ)」と名付け定住したのが、ニューオリンズの始まり。その後スペインに支配権が移り、フランスに返還され、今度は一転して米国政府の手に渡るなど、数奇な運命をたどってきた。

 18世紀以降、入植者らとその子孫、黒人奴隷、欧州からの移民などが移り住むことで形成されたこの街では、多彩な文化が融合し、ここにしかない独自文化へと変化していった。例えば、クレオール料理、ニューオリンズ・ジャズ、そしてプランテーション。これらのニューオリンズ名物は、米国の一時代の面影を色濃く残しており、パズルのようにつなげ合わせることで、この地がたどった歴史が浮かび上がってくる。

 ルイジア州最大の都市であるニューオリンズは、南部有数の観光都市。街中を歩いていると、さまざまなバックグラウンドの人、思い思いにニューオリンズを満喫している。全米から人を呼び寄せる魅力は、一体何だろう。今回は、ニューオリンズの魅力をひも解く。

「復活」したジャズ発祥の地



1フレンチクオーターの一角。鉄細工が施してあるバルコニーが特徴的2ジャズバー「メーソン・バーボン」で行われているジャズライブ。スタンダードナンバーを披露するので、初心者でも楽しめる3夜のバーボンストリート。色合いはアダルトだが、どちらかとパーティー会場のように華やか

 ダウンタウンのホテルに到着したら、まずは周辺の風景に目を凝らしたい。大通りに走るのは、1835年の運行から今なお現役の車両を含む、レトロデザインの赤や緑の路面電車。眼前には、2階建ての蒸気船「ナッチェス」が浮かぶ、米国最長のミシシッピ川があり、川を背に振り返れば、青空に映える純白のセントルイス大聖堂が鎮座している。まぶしい太陽の下、原色が交差している街並みが、陽気な気分にさせてくれる。

 一通り見て回ったら、大通り・キャナルストリートより北のエリアへ。道幅が狭くなり、建物がぎゅうぎゅうにひしめき合う、フレンチクオーターだ。その名の通り、フランス統治時代に整備された区画だが、現存する建物は、1763年に宗主国となった、スペインの影響を強く受けている。オレンジやスカイブルーの建物に、緑のツタが絡まる様が美しい。

 「ギャラリー」と呼ばれるバルコニーでは、住人たちが優雅にコーヒーブレイクを楽しんでいる。おまけに通りには馬車まで闊歩(かっぽ)していて、街中を歩いているだけで、だんだん日常の感覚が薄れてくる。

 だが、何かがヨーロッパとは決定的に異なる空気を生み出している。その正体は、トランペットと弦楽器が歌い踊る、ニューオリンズ・ジャズの音色だ。ジャズは18世紀にこの地で、解放された黒人奴隷たちが主だって奏でた音楽。アフリカの伝統的な打楽器のビートと、南部の抒情的なブルースのメロディーが組み合わさる。

 公園のベンチや店の軒下など、街角で何気なく演奏されている力強いジャズの音色に、ついつい散歩の足を止めて聞き入ってしまう。ニューオリンズ生まれの「サッチモ」こと、ルイ・アームストロングも、街中でメロディーを口ずさんでいたのだろうか。

 さて、昼のフレンチクオーターを満喫したら、日が暮れたころに再び戻ってきてほしい。中央を走るバーボンストリートでは、一斉にネオンが灯り、道全体が薄ピンクに包まれて、ちょっとなまめかしい雰囲気に。ようこそ、ジャズの真の聖地へ。そもそも「ジャズ」とは、売春宿やそこで行われる行為などを指すスラング。この場所で発展した音楽が、いつしかジャズと呼ばれるようになったのだ。

 ニューオリンズでは1917年に売春禁止法が施行され、一時期はジャズもその余波を受け、廃れてしまった。再び「ジャズの街」として息を吹き返したのは意外にも遅く、80年代。トランぺッターのウィントン・マルサリスが奏でるトラディショナル・ジャズが全米で注目され、発祥地であるニューオリンズが再び脚光を浴びたのだ。ニューオリンズ・ジャズは、このバーボンストリートから生まれ、そしてここから再興していった。

 今ではロック、ブルース、パンク、R&Bも演奏されていて、もはや何でもありな状態だが、それでもジャズの音が、どこからともなくこの地の空気に混じって聞こえてくる。

 適当に入った角のバーでは、白シャツにスラックス姿の黒人男性が熱唱中だった。大口を開け、ソウルフルな歌声を披露しながら、歌の合間にトランペットを悠々と吹いている。その笑顔と陽気な音色に、なんだか心が穏やかになった。


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