2018/06/29発行 2018 SUMMER掲載記事

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予測不能な毎日を楽しむ
大森智子

ゴーゴーカレー・アメリカ・グループ代表の大森智子は、ニューヨーカーを「走って走って走っている人たち」と表現する。シアトルから訪れた友人が、街中で何人もピザを食べながら急ぎ足で過ぎ去っていくことに驚くのをよそに、「それがニューヨーク」だと納得する。それゆえファストカジュアルを標榜する金沢カレーの専門店、ゴーゴーカレーはニューヨークとは相性がいい。2012年に大森が現職に就いて以来、市内に6店舗をオープンさせた。

「1週間の出張から戻ると、近所の飲食店がなくなってたなんてことはざら。人、環境も、ものすごいスピードで動いている。その中で大事にしていることは、店を、そんな忙しい日々を送るお客さんにとって、そして従業員にとっても、好きな場所にすることです」
「飲食ビジネスは人次第で決まる」という信念がある。だから大森は従業員を育てることに全力を注ぐ。ニューヨークは、土地柄、さまざまな人種がいて、あらゆる考えと性格、違う文化背景を持ち、英語が母国語ではない従業員も集まる。そうした従業員を率いていくのは大変ではないか、と質問を向けると、大森は「『笑顔で接客しよう』と伝えています」という。

大森智子
石川県出身。1990年に来米。NHKメジャーリーグ中継のディレクター、「ChopsticksNY」ディレクターを経て、2012年から「GoGo Curry America Group」代表。15年には日経ウーマンの「Woman of the Year 2015」受賞。現在ニューヨーク市内に6店舗、マサチューセッツ州にも店舗を拡大。今年4月に初のフランチャイズ契約を成立させた。www.gogocurryamerica.com

「英語が母国語でないと、コミュニケーションができず無愛想になりがちなので(笑)。笑顔を見せるだけで、お客さんは『好意を持たれている』『歓迎されている』と感じてくれるよ、と伝えます。とくに、うちはファストカジュアルだから、お客さんとのやりとりは一瞬。でもその一瞬の笑顔でお客さんの一日を良いものにできる。そして、これはうちだけじゃなくて、どこに行っても言えることだよと」

今年4月に初のフランチャイズ契約を成立させた。金沢カレーはニューヨークで大きく花開き、ヒューストンに届いた。フランチャイズの構想は3年ほど前からあったが、法律用語が並ぶ膨大なページ数の書類の作成に時間がかかった。最適な専門家を探し、かつ自身が一語一語納得するまで確認した。その間、なぜこんなに懸命にフランチャイズを実現ようと思っているのか、繰り返し自分自身に問い掛けたという。普段から、「経営は愛」「モチベーションは従業員」と公言してはばからない大森だが、「フランチャイズは、もともと従業員のために、という思いはありましたが、それが嫌というくらい明らかになった」と語る。

従業員が何を夢見ているのか、ということに一番興味があるという。「直営店だけをやっていると店長が一番トップですが、フランチャイズを広げることで、スーパーバイザーになったり、自分が経営者になったりと、ポジションを作ってあげることができる。もっと上を見て、成長が可能な場所にできる」。

ニューヨークでの躍進に、「ここで成功するには?」とよく人に聞かれるそうだが、その度に「ドラマ好きですか?」と答える。「毎日予測不可能なことが起こります。失敗もあります。『フィアレスガール』じゃないけど、問題が起こったとき、『よっしゃ、どうやって解決しようか』と思えるかどうか」。

チェルシー店が不測のアクシデントで3カ月間閉店したときには、誰一人解雇することなく乗り切った。昨冬、ワールドトレードセンター店ではパイプの凍結で店内が水浸しになるアクシデントに見舞われた。運悪く大森は出張で不在。しかし従業員たちはそれを自主的に掃除し、3日後には通常営業に戻した。彼らに尋ねると、外に並んで待っているお客さんに「アクシデントで閉店している」と伝えると、残念そうに帰っていったからだという。大森はそう語りながら目を細める。

米国法人として独立して3年になるが、会社を自分のものと思ったことはない。みんなの努力、みんなのお金で作られている会社は「みんなのもの」。

「ニューヨークでたくさんの素晴らしい経営者と会いましたが、男性、女性関係なく、きちんと理解してサポートしてくれるパートナーがいる。そこに上下はなく同等なんです。会社も同じ。私は社長という役割を演じているだけで、目的、夢、情熱を共有する従業員が、それぞれの役割を全うしてくれての会社。やっぱり人なんだなと思います」


ニューヨークの面白さ
山辺亜紀

人、ビジネスが世界中から集まり、激戦を繰り広げ、入れ替わりも激しいニューヨーク。その全ての土台となる不動産に携わる人たちに求められるスピードは並大抵ではない。

「朝6時に起きて、娘のお弁当を作って、出社した後は、頭の中ではパチンコ屋さんの『軍艦マーチ』がずっとかかっているイメージ。倍速で動いています」と語るのは、J-ONE不動産代表の山辺亜紀。

ただし、山辺の場合はニューヨークのスピードに飲み込まれている訳ではない。

「早く家に帰って、好きな料理をし、おいしいワインを飲んでゆっくりしたいから。そこが人生で楽しいところでしょ」といたずらっぽく笑う。

世界中から人が集まるゆえに人種、文化背景、習慣、考え方は千差万別だ。しかし、「だからこそ違いがあって面白いし、それがニューヨークの醍醐味(だいごみ)でもある」と語る。不動産に関しても、当然ながら家を借りたい人、それを貸す家主も、さまざまな人種がいて、多様な考え方、習慣がある。そこで問われるのが、これまでしてきたことではなく、「ここで何をしているのか」なのだと、ニューヨーカーとしての矜持(きょうじ)を語る。「ここに来たら全員がゼロからのスタート。ただこの街の良いところは、着いた瞬間からニューヨーカーになれるし、そう扱ってもらえること。外国人はいつまでも外国人という東京と違います」。

ここでは「日本では〜」という常識が通じない。逆にその価値観を捨てなければ、ニューヨークの面白さは味わえない。

山辺亜紀
東京都出身。成蹊大学経済学部卒業後、報道関係の仕事に携わる。1990年代中ごろに来米。シカゴを経てニューヨークに移り、2001年に「J-One不動産」を設立。

「一見冷たそうに見えて、優しさを持っているし、困っている人を積極的に助けるのもニューヨーカー。『同じ階に住むおばあさんが、具合が悪いって言っていたな。帰りに花を買っていってあげようか』とか。それで人がつながるのもニューヨークです」

そういった本当のニューヨークのスパイスを味わうことなく帰国する日本人が多いことが歯がゆい、と山辺は言う。

「私はニューヨークに恋をして、添い遂げようと思った。でも皆さんもそうかもしれないけど、大変なこともあって、『こんな嫌なところも(笑)』と思うこともありました。でも、そうこうするうち、永住権が当たって、『ここで果たすべき使命があるんだ』と覚悟を決めました」

なぜニューヨークである必要があったのか?「これは、言ってもあまり信じてもらえないんだけど」と前置きして語る。子供のころから、特徴のある橋が架かる街の景色の夢を何度も見た。大学時代にバックパッカーとしてアメリカを巡った際、あの夢に出てきた橋、ブルックリンブリッジがここにあった。

「ああ、ここだ。将来、ここで勝負しようと思いました」

日本で大学を卒業した後、メディア業界を経て、シカゴに留学。1990年代半ばにニューヨークに移った。最初の1年、学生として過ごした。その際、家を借りるために不動産会社に連絡をしたが、女性であり、かつ学生であることが知れると、電話をすぐに切られた。

「女の子が圧倒的に多い街なのに、気軽に問い合わせられる不動産会社がない。当時、この街はサービスする精神が根付いていなくて、私が考えている不動産会社は一つもなかった。だったら、私が作ろうと思いました。夢を持ってここに来た人たちを応援したいという気持ちだった」

子供のころから、好奇心が強く、自身いわく「変わった子」だった。教師から「他の子と違う」と指摘を受けることも多かったが、母親は「これがうちの子です」と笑い、個性と捉えてくれた。父親からは、「出る杭は打たれるから、誰にも打たれないぐらいに突き抜けろ」と諭された。しかし、強烈な個性を持ったまま大学に入ると、周囲と価値観がとことん合わず悩んだ。

「その時、自分が何のために生まれてきたのかと考えました。やりたいことと、自分の向いていることが違うという気付きも早かった。そして、『自分で人生を作る』ということを決めていました。それがあったから今も走り続けられています」

どの社員よりも物件を知り、ニューヨークを知り尽くす。この街の素晴らしさを伝えるために山辺は走り続ける。


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